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文明誕生の歩みと哲学から天文、古典的科学と現代物理への進展史

・年・内 容名 称タグ解 説
補 足、 MEMO

1630年頃算術の熟読と48の注釈を付け数学的「予想」と「自称の証明」を残したピエール ド フェルマー (29歳)
Pierre de Fermat
数学古代ギリシャ数学者ディオファントス著 “算術”の余白に計48の、具体的経過を含まない数学的 “予想”と“自称の証明”の注釈を付ける考察を始めた。死後の1670年、長男のサミュエルが書込み付きで再出版。後の数学者達が、真の証明を示せずに残った1つが “フェルマーの最終定理” と呼ばれた。

1637年“方法序説”を公刊
“我思う,ゆえに我あり” と説く、解析幾何学の基礎となる座標系をフェルマーとの文通を交え新たに定義し、 代数と幾何学を結びつけた
ルネ デカルト
(41歳)
René Descartes
哲学,
数学
第4部で “全てを疑おうとしても、そこに疑問を抱く自分だけは絶対に疑い様が無い”という命題 “我思う、ゆえに我あり” (Cogito ergo sum) を説いた。第5部で、宗教裁判で異端となる懸念で公表を控えていた“世界論”(宇宙論) の内容を略述。全て事象は原理に由来するとし、心臓も機械ポンプだと言った。神を無限な実体として世界の根底に設定、精神と身体という2つの有限を立てた。宇宙を原理構造的に解釈し、新設の解析幾何学の直交座標系(デカルト座標) によって、惑星軌道を幾何的に捕えた。初版は、宗教裁判を恐れ、偽名で発行。
後の近代哲学の起点、科学進展の鍵とされた。

1652年
フェルマーとの ギャンブル関するから “確率論” を考案
ブレーズ パスカル (29歳)
Blaise Pascal
数学確率論の創始。他にカルダーノ、ホイヘンス等によって拡張され、ラプラスによって統合された。この年、ロードアイランド州で、北アメリカ初の奴隷を禁止する法律を制定。

1661年幾何光学的な
フェルマーの原理を発見
ピエール ド フェルマー
Pierre de Fermat
物理は光学的に最短、“時間”が最小になる経路を通る事を発見。
(これにより入射角と反射角が等しくなる等となる)
ホイヘンスの原理と合わせ、水面やレンズ等を通った光の屈折を示す“スネル・デカルトの法則”(屈折の法則) が導かれる幾何光学的法則。

1666年微分積分を着想アイザック ニュートン (23歳)数学流率法(ニュートン流の微積分) を考察。フェルマーから微分のアイデアを得たという。

1707 ~ 1783年バーゼル問題を解決し解析学、微積分の洗練、級数、連分数、近似計算、特殊関数、微分方程式、多重積分、偏微分法、等々に実績を残すレオンハルト オイラー
Leonhard Euler
数学オイラーの定数、フェルマーの小定理の拡張、オイラーのφ関数、ゼータ関数、数論等、大量の業績や公式を残し、絶大な影響を広めた。息をする様に計算をする等の評判も有ったが、かなり目が悪く、むしろ気が散らず効率的とも自称した。1760年代までニュートン力学を容認せず、エーテル理論に固執し、その後万有引力理論を、幾何学的表現から近代的解析学に修正した。残した論文は人類最多の8百以上と言われ、彼が決めた数学記号も多い。

1986年フェルマーの予想に関する フライ・セール予想を提示し
この年、ケン リベットが証明
ゲルハルト フライ
ジャン ピエール セール
ケン リベット
数学フェルマーの最終定理が誤りで整数解が有った場合 全ての楕円曲線はモジュラーであるとする“谷山、志村予想”に反して、非モジュラーな楕円曲線が出来てしまうという構造が示され、その関係性を証した。一方オイラーは、乗数 “n”が素数の時に限定してフェルマーの最終定理の証明が可能だと示していた。( X2+Y2= Z2 の式のX,Y,Zを満たす整数解は無数に存在し“ピタゴラス数”と言う。)

1995年フェルマーの最終定理を 証明
7年間、公言せずの研究によりフェルマー・ワイルズの定理とも呼ばれる様になった
アンドリュー ジョン ワイルズ
Andrew John Wiles
数学“Xn+Yn= Zn ”でnが3以上の自然数の時、X,Y,Zの式を満たす正の整数は存在しない。という一見単純な予想だが、何処にも存在しない事の証明は困難で360年を要し、ガロア表現、ヘッケ環、岩澤理論等、多分野の現代数学の粋を組み合わせ、上記1986年の谷山・志村予想に関する、フライ・セール予想から証明。フェルマーの“算術”への書き込みで「予想できる」としたものの一部は、後の数学者が ‘間違い’ として証明した例もあるが、「証明出来た」と示したものの全ては、正しいとしてライプニッツやオイラー等によって証明されて来ていた。そんななか残った1つの「証明」の予想だった。

・年・内 容人 名タグ解 説
補 足、 MEMO

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