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文明誕生の歩みと哲学から天文、古典的科学と現代物理への進展史

・年・内 容名 称タグ解 説
補 足、 MEMO

1564年ガリレオ ガリレイ (0歳)
Galileo Galilei
2月15日、ピサ(イタリア、当時トスカーナ大公国領) で誕生。音楽家で呉服商のヴィンチェンツォ ガリレイの長男として誕生。

1589年落下速度と質量の関係
ピサの斜塔での実験
ガリレオ ガリレイ (25歳)
Galileo Galilei
物理重力加速度は、重さ(質量) に比例しない。アリストテレスの物と落下に関する説と信頼も否定する結果に。観察と実験と数学による検証の科学の開拓者。“ピサの斜塔の実験”の場所には諸説ある。
イタリアのピサ大学の数学講師(3年契約)となる。 哲学や形而上学から測定の科学へ。

1592年自由落下の垂直距離は、落下時の2に比例
摩擦力を定義
ガリレオ ガリレイ (28歳)
Galileo Galilei
物理等速度運動、加速度運動と摩擦、自由落下の研究。(自由落下物の垂直距離は落下時間の 2乗に比例。 投射体の軌道の三角法不使用な複雑な公式を導く)ピサ大学の職が期限切れに(更新されず)。
イタリアのパドヴァ大学教授へ(6年契約)。

1597年ガリレオ ガリレイ (33歳)天文ケプラー宛への手紙で地動説を支持。

1599年ガリレオ ガリレイ (35歳)パドヴァ大学教授に再任。マリナ ガンバと結婚。1男2女を授かる。

1600年火炙りの刑にガリレオ ガリレイ (36歳)宗教ジョルダノ ブルーノ、ローマ教皇庁により。

1609年(17世紀)自身初の自作天体望遠鏡で 初めて月を 詳細に観測した“星界の報告”を発表ガリレオ ガリレイ (45歳)
Galileo Galilei
天文,
技術
オランダで発明の望遠鏡を改良し、史上初の(10倍、そして20倍に作り替えた)天体望遠鏡による観測の詳細な報告。 月の非真球性、凹凸を発見。ガリレオの天体望遠鏡が世界初なのではなく、そを使った詳細な記録が史上初。
地動説の支持。 1610年とのソースもある。

1610年木星の4つの衛星を発見
金星の満ち欠けの観測
ガリレオ ガリレイ(46歳)
Galileo Galilei
天文木星の衛星をメディチ星(トスカーナ大公家の事) の星と名づける。 “星界の報告”で発表。 天の川が無数の恒星の集合な事も観測。 地動説への言がが多くなる。 ピサ大学の教授に。

1610年“星界の報告者との対話” を発刊ヨハネス ケプラー (39歳)天文ガリレオを擁護。

1611年ガリレオ ガリレイ (47歳)
Galileo Galilei
ローマを公式訪問。バチカンに自身の天文学的発見の重要性を説く。(地球中心説否定の証拠も含んだ)リンチェイ アカデミー(山猫学会)に選ばれ入会。
コロンベと水に浮く氷に関する公開討論で勝利。

1613年“太陽黒点論” を刊行ガリレオ ガリレイ (49歳)天文太陽黒点を観測。太陽黒点で対立していたアッペルスへの手紙でコペルニクスの地動説支持を断言。

1614年ガリレオ ガリレイ (50歳)
Galileo Galilei
天文,
宗教
大公妃クリスティーネに観測と教義が矛盾すれば観測と実証が優先されるべきという手紙を送る。聖職者からの最初の反撃はドミニコ会の司祭カッチーニからだった。

1615年ガリレオ ガリレイ (51歳)天文ドミニコ会修道士ロリーニと地動説での論争に。

1616年2月25日
地動説に 宗教裁判にて警告
ガリレオ ガリレイ (52歳)
Galileo Galilei
天文,
宗教
第1回異端審問所審査で、地動説について説く事をヴァチカンのローマ教皇庁検邪聖省から注意コペルニクス著“天体の回転について”の 一般閲覧が ローマ教皇庁より、一時停止となる。

1622年
宣言書 “贋金鑑識官” を出版、真理は 数学という言語 で記述
ガリレオ ガリレイ (58歳)
Galileo Galilei
哲学,
天文
グラッシと地動説と彗星に関する論説で対
「自然哲学は広大な宇宙という書物に数学という言語でただ書き広げられている。」とした。
ヴァチカンの承認を受けローマ教皇ウルバヌス8世への献辞付きで刊行。 1623年に教へ提出。

1624年観測用に顕微鏡を改良し 作成ガリレオ ガリレイ (60歳)技術オランダにて発明の顕微鏡を大改良、昆虫を観察。ウルバヌス8世に呈示した。

1632年“天文対話”(二大世界体系についての対話)を発表
相対性原理 (ガリレイ変換)
ガリレオ ガリレイ (68歳)
Galileo Galilei
物理,
天文
“慣性系” の運動法則は、地動説においても静止系と同一に成り立つ。等速運動の地球上で、物質が真下に自由落下する。運動法則の静止系との等価性を提示。 後にデカルトが普遍性を示し、ニュートンが慣性の法則として定義。教皇への考慮から、地動説派と天動説派との論争として“天文対話”を発表。 コペルニクスが唱え、ケプラーが発展させた太陽中心説を支持。
8月にイタリアのローマ教皇ウルバヌス8世の怒りをかい印刷と販売が停止。呼び出される。

1633年地動説の間違いを宗教裁判で 誓わされるガリレオ ガリレイ (69歳)
Galileo Galilei
宗教,
天文
第2回異端審問所審査で、ローマ教皇庁検邪聖省から6月22日に終身刑。 直後、トスカーナ大公国ローマ大使館での監視と軟禁に減刑。
そこで詩人や科学者、音楽家達と頻繁に対話した。
シエナのピッコロミーニ大司教宅に身柄を移された後、フィレンツェに行く事を禁じられたが
娘セレステの重病の知らせで、アルチェトリの別荘へ戻ることを監視付きで許される。

1634年ガリレオ ガリレイ (70歳)最愛の長女マリア セレステ死去。誕生時の名はヴィルジニアで、ガリレオが看病。

1638年“新科学対話” を発表ガリレオ ガリレイ (74歳)
Galileo Galilei
天文両眼を失明、前年に片目を失明。 弟子のエヴァンジェリスタ トリチェリが口頭筆記を行った。晩年 振り子時計を発明。
図面を息子とヴィヴィアーニが書き上げる。

1642年ガリレオ ガリレイ (77歳)1月8日、アルチェトリで永眠。

1642 ~ 1727年ニュートン力学、
運動方程式、
万有引力の法則を提唱
アイザック ニュートン
Sir Isaac Newton
物理,
天文
微分積分の発見。 イギリスの物理学者(光学、力学)、天文学者、数学者。 実証主義科学の礎。初期は、現在のエネルギーの概念ではなく、力を論じ、力学上初めて引く力を想定した。錬金術に関する書物も多く残した。

1643年水銀柱の実験で真空を発見エヴァンジェリスタ トリチェリ
Evangelista Torricelli
1641年からガリレオの弟子となる。1608年10月15日誕生、水銀気圧計の発明者。

1684年“回転している物体の運動について”をハレーに送るアイザック ニュートン (41歳)
Sir Isaac Newton
エドモンド ハレー (27歳)
Edmond Halley
物理,
天文,
数学
「惑星が距離の平方に反比例な力で太陽に引き寄せると仮定すると、惑星が描く曲線は?」との エドモンド ハレーからの質問に「楕円だろう」と答えた時の詳細を、紛失した論文を書き直し送付した。ハレーはこの時、ニュートンが既に“ケプラーの惑星運動の法則”を統合的に含む原理を証明しているが、まだ発表していない事を知った。
万有引力着想のきっかけは、フックやケプラー、ガリレオ等だとする説がある。

1687年
自然哲学の数学的諸原理で ‘運動の法則’ 等の整理を含む “プリンピキア”出版
アイザック ニュートン (44歳)
Sir Isaac Newton
物理,
天文,
数学
エドモンド ハレーからの援助と、力学研究のまとめの執筆の勧めからニュートン力学や、万有引力による惑星軌道など、宇宙の規則体型の総を提示。古典力学の基礎、500ページ余りの初版、全3巻。
微積分は用いず、ユークリッド幾何学を基礎に、作用反作用、運動、慣性の法則等を提示した。

1905年光速運動 に関する
“特殊相対性理論”を提唱
不変的基準は ‘光速度’とした
アルベルト アインシュタイン (26歳)
Albert Einstein
アルバート アインシュタイン
物理,
量子
光速度不変則による相対的に歪む‘空間’と‘時間’に関する原理。‘時間’は普遍的に絶対不変の基準とされて来たが、時間でさえ相対的に歪む原理を初めて提示。光速度が絶対不変なら時間の方が歪むのだろうと示した等速直線運動という特殊条件下での理論。
当年、ロシアで第一革命。 “我が輩は猫である”出版。

1992年ガリレオの宗教裁判に謝罪ローマ法王、ヨハネ パウロ2世宗教当時の宗教裁判を、誤りだったと 謝罪した。高エネ研(KEK)森田洋平が日本初のWebを公開。

・年・内 容人 名タグ解 説
補 足、 MEMO

・宇宙論関係の、年表や解説の参考、出典ソースです。

       

・物理学史関係の、年表や解説の参考、出典ソースです。